岩手名物語り:改訂版 〜【盛岡冷麺】その始まり&いかにして広まったか〜

盛岡冷麺を初めて食べた人は、困惑に近い驚きを体験することでしょう

🔹半透明の、まるでゴムのような腰の強い麺

🔹牛骨ベースで出汁を取った冷たくしょっぱいスープ

🔹キムチを大量に入れた時の、口から火が出るほどの辛さ

これが盛岡冷麺の特徴です

冷麺のルーツは中国の北部にある黄河流域にあると言われ

ラーメンのような手で延ばす「伸ばし麺」

蕎麦のように延ばした生地を細くスライスする「切り麺」とは違い

先に穴が無数に空いたシリンダーのような容器に生地を入れて押し出す「押し出し麺」

のジャンルにあたります

この冷麺を一番最初に盛岡に持ち込んで、展開したのが

今現在盛岡市の大通り一丁目にお店を構える老舗

食道園の初代であり朝鮮半島咸興(ハムン)出身の

青木輝人 〔本名:楊龍哲(ヤン  ヨンチョル)〕氏です

朝鮮半島の伝統的な冷麺はもともと、動物系の出汁のスープに、さらにそれにトンチミと呼ばれる大根の水漬けの汁を加えて冷たくしたものに、蕎麦粉を多く分量した黒く細い麺を合わせ流のが主流なそうです

しかし青木さんは、盛岡の地では、本場の蕎麦粉を使用した黒い冷麺はどうも美味しそうには見えないとこのことで

小麦粉を使用した半透明の白い麺を使用し、そして牛肉出汁の冷たいスープ、辛いキムチと共に冷麺を盛岡の人々に出しました

しかし…

最初の評判は散々なものだったようです…

お客さんの中には

「おい!ゴムを食わすつもりか!?💢( *`ω´)💢」

と大声をあげる人も時々いたそうで…

盛岡冷麺は最初…かなりのネガティブな驚きを持って盛岡の人々に認知されたそうです

(;´д`)💦

店主の青木さんも、どうしたものか…と困り果てたようですが

不思議なことが起こったのです

【🔥想定外のリピーター続出】

なんと、その時は怒って席を立っていったはずのお客さんが数日後またお店にきて冷麺を注文したということ

「なんか、後を引くんだよね🥢(・ω・`)✨」

などと言ったとか言ってないとか…

また、当時の盛岡の中心部には

シャンソン喫茶の「モンタン」をはじめとする

当時のモダンガール・モダンボーイの集まりの場が多く芽吹き始めた時期でした

そこに集うモダンガール&ボーイズ、そして若き音楽家や芸術家の中で、盛岡冷麺

「噛み切れないほど硬くて、火が出るように辛い、そして冷たい一風変わった異国の料理」

の噂はみるみるうちに広まり

冷麺を食べることが盛岡の人々にとって一種のオシャレのようになっていったのです

そして盛岡という町そのものが、冷麺に対しての追い風になったのですね🌸

食堂園がパイオニアとしての一歩を踏み出したのが1954年

それから50年以上の歳月を経て、盛岡には冷麺を売り物にするお店が無数に存在するようになりました

そして、お土産品としても全国区の知名度を誇ります

朝鮮半島から生まれた麺料理が、盛岡の地で形を変え、地元に根ざした、なおかつ他県にも有名な名物料理になっていることは、人間としての多様性と、工夫の尊さを感じさせますね



ちなみに、僕自身も冷麺は大好きでございまして🥢( ・∇・)✨

過去にも色々と通(つう)の人から食べ方を教わりました

お酢を少し入れて酸味を楽しんだり

キムチで真っ赤になったスープに、ゆで卵の黄身をグジャグジャに溶かして、まろやかにして味わう

など、非常に味わい深い食べ方が盛岡の冷麺には存在します🌸(´・∀・`)🥢

全国、全世界の皆さん

岩手にいらした時は、どうぞ盛岡冷麺をご賞味あれ🌸

ドモドモ🎵( ˙-˙ )🥢

[rakuten:auc-umaiwa-iwate:10001664:detail]

 

 

 

 

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岩手伝説語り:〜鬼と神、そして祭り(改訂版)〜

どうも僕です

🍙( ˙-˙ )👹

岩手県の特徴…それはそのまま県の名前がそれです

鬼伝説がそのまま県の名前に使われているのは非常に稀有なことといえましょう

さて(´・∀・`)

【三ツ石神社】

岩手県の県庁所在地である盛岡市

その中心部にある那須川町という地域に

三ツ石神社

という神社があります

平安時代に建造されたと言われているとてもとても古い歴史を持つ神社で

境内には、しめ縄が張られた三つの巨大な花崗岩が並び

これが神社の名称の由来となっています

巨大な三つの花崗岩は、古くから「三ツ石さま」と呼ばれ、人々の信仰の対象とされてきました

さて、この三ツ石さまと、鬼がどのような関係を持つのでしょうか…

【羅刹鬼】

太古、岩手エリア一体は「羅刹鬼」という鬼の支配する地だったそうです

羅刹鬼はたいそうな乱暴者で

地元の人間たちや、岩手の地を訪れる旅人たちに悪さを働き、それはそれは苦しめたそうです

人々は羅刹鬼に怯えながらも、強力な力を持つ羅刹鬼を「荒ぶる神」として崇めていました…

長らく羅刹鬼の恐怖支配が続いていたのです

しかし、ある日そこに、本物の神様が現れたのです

少彦名命スクナヒコナノミコト)】

その神様の名前です

少彦名命は、羅刹鬼を瞬く間にねじ伏せ

三ツ石の岩に縛り付けました

人々は喜び、そして羅刹鬼は完全に降伏し、神様に懇願しました

鬼「悪うございました。どうか命ばかりはお助けください…」

と…

それに対して少彦名命は羅刹鬼に言いました

神「羅刹鬼よ、ならば2度とこの地の人々に悪さをしないと誓うのだ、言葉だけでは信用できない、この三ツ石にお前の手形を証文がわりに押すのだ」

羅刹鬼は頷き、少彦名命の言いつけ通り、巨大な花崗岩に手形を押しました

そして、羅刹鬼は続けます

鬼「この通りでございます…私はこの地を立ち去り、2度とこの地の人々に悪さは致しません。そしてこの地を去る代わりに、人々の祝福をお約束いたします。」

少彦名命は羅刹鬼を許しました

そして羅刹鬼はこの地を立ち去り、少彦名命との約束はしっかりと守られています

【盛岡さんさ踊り

この出来事が由来となり、

この地は 岩手(岩に鬼の手形がある)と名付けられ

羅刹鬼が立ち去ったことを喜んだ土地の人々か

三ツ石の周りに円を書いて囲み

 さんさ🎵  さんさ🎵

と囃子を立てて踊ったのが

今現在も毎年8月の頭にパレードが行われている

東北三大祭りの1つ(青森:ねぶた・秋田:竿燈・岩手:さんさ踊り

盛岡さんさ踊り

と言われています

【最後に…】

少彦名命とは何者なのでしょうか?

強力な力を持つ羅刹鬼を簡単に懲らしめた、圧倒的に強い神様…

こう言えば皆さんも納得することと思います

少彦名命の別名は「一寸法師なんです^^

押忍✨( ˙-˙ )✊

 

 

 

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岩手怪異語り:「座敷童」幼な子の招福神(改訂版)

どうも僕です🖋( ˙-˙ )✊

このブログでは、遠野物語をはじめ、岩手のコアな言い伝えや文化をちょこちょこ記事として書いていまして

今回は、座敷童(ざしきわらしという怪異を単体で取り扱って、皆様に紹介したいと思います🖋☕️

さて、古くから日本では

「七つ前は神のうち」

という言葉がありますように

幼な子、つまり年端もゆかぬ小さな子供と、この世ならざるものに対し、非常に濃い関係を意識する文化があります

座敷童はその中の一つです

その名の通り、童子の姿を持ち

「招福神」

つまり福の神の働きをする怪異として有名です

幼くして命を落とした子供がなった怪異であるという説もあります

この座敷童の住み着く家は非常に繁栄しますが、立ち去った家は没落します

新装版 遠野物語

これに関するエピソードは、岩手県ではやはり

遠野物語柳田國男:著)」

に記されているのが広く世に知られております

またこの座敷童

近代にあっても出没例がありまして

小学校に出現したとの情報も上がっているとのこと

その際、座敷童は低学年の生徒にしか見えず

高学年の生徒たちや、教師たちには視認できなかったということです

また、信心深い人の中では

「座敷童は家に繁栄をもたらすが、欲に非常に敏感で、少しでも欲を出すと逃げてしまう」

と、非常に座敷童の存在を大切にし、調子に乗ったその家の者に対してこのように言葉で戒める人もいらっしゃいます

🖋    🖋   🖋

岩手県北部の二戸市にある

金田一温泉郷というところの

緑風荘 という旅館があるのですが

ここは古くから座敷童が出る旅館とされています

何度かテレビ取材も入り、映像で捉えることにも成功したのだとか…

2009年に火災で緑風荘は一度燃えてしまいましたが

今現在は再建して営業なさっています👍

座敷童…逃げていってしまったのかな…と思ったのですが

なんと、再建した後もちょこちょこ姿を表しているそうです

🌸(´・∀・`)👦

なんでも緑風荘に出る座敷童は「亀麿(かめまろ)ちゃん」という本名もあり

緑風荘の創業者のご先祖に当たる人達と縁がある子供の神様だそうで

しっかりと亀麿ちゃんを祀るお社もあるそうです⛩️

🖋    🖋   🖋

ざっくりと今回、座敷童についてこんな感じで紹介いたしまし

今回もまたこの辺で

最後まで読んでいただき、ありがとうございました🌷

🖋押忍 ( ˙-˙ )♨️☕️

⛰️↓参考資料&名産品↓⛰️

 

 

 

座敷童

 

 

 

 

 

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岩手名物語り:「権八(ごんぱち)辛味」〜南部の蕎麦文化(うめぇ)〜

どうも僕です🥢( ˙-˙ )🌻

「(´⊙ω⊙`)🥢盛岡のお蕎麦って紅葉おろしとネギが薬味なのね❗️」

と県外の知人に驚かれたことがあります

そうなんです

南部藩…盛岡のお蕎麦屋さんは紅葉おろしを薬味に出すお店非常に多いです☀️(´・∀・`)

他県の皆さんには不思議に思われる方もいらっしゃって当然かもしれません

この紅葉おろしは通称

権八(ごんぱち)辛味」

と申しまして、年配の方にはシンプルに権八」とだけ呼称される方もいらっしゃいます

盛岡のお蕎麦屋さんでは、冷たいお蕎麦にも、温かい掛けそばにもこの権八辛味が薬味としてついてくる風習が根強く残っております

かつて山葵(わさび)が手に入りにくかった時代の名残りという説もありますが、この権八辛味でお蕎麦を食べるのもなかなかに美味しいものです

辛さはお店によって様々ですが

老舗と呼ばれるお蕎麦屋さんの権八は、山葵に負けないくらいに唐辛子が濃く、強い辛みを持っているのが特徴です

(※もちろん、今は山葵も全てのお蕎麦屋さんで常備してあるようです)

わんこそばの薬味としても、もちろんついてきますし

ざる蕎麦やかけそばを食べる際、お汁にこの権八辛味を溶かして啜ると

なんとも言えず香りが良くて病みつきになります

✨(´・∀・`)🥢

ざる蕎麦の場合は、あらかじめおそばにまぶしてからタレにつけて啜っても、大根と唐辛子の風味が鼻に爽やかに抜けて非常に良いです🌷

僕個人も、お蕎麦屋さんでお蕎麦を食べるときは、やっぱりこの権八の使用率が山葵より高いですね(あくまで個人の好みです)

権八辛味の伝統と趣旨を知ってから

ますますコレがお蕎麦を食べるときに大切になりました🥢

最後まで読んでくださり、ありがとうございました

今回はこの辺で

押忍🥢( ˙-˙ )🌸

〈↓🌻岩手のお蕎麦&お酒👍〉

 

 

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岩手名物語り:「三ツ矢サイダーと天ぷら蕎麦」〜詩人の愛した蕎麦セット〜

【天ぷらそば&三ツ矢サイダー】​

皆さんは、宮沢賢治という人物をご存知でしょうか?
宮沢賢治(1896〜1933)さんは、岩手県出身の詩人で、童話作家でして

「雨にも負けず」
春と修羅
グスコーブドリの伝記
銀河鉄道の夜

など、今現在でも有名な数々の作品を生前世に送り出しました

読んでおきたいベスト集! 宮沢賢治 (宝島社文庫)

宮沢賢治さんは、実は大変な蕎麦好きでも知られており

その宮沢賢治さんが通っていたお店が

​創業大正12年 やぶ屋 

というお店です​

やぶ屋さんは花巻市に総本店を構えてらっしゃいます

【やぶ屋とは何か】​

花巻のお店はかつて宮沢さんが

岩手県稗貫郡稗貫農学校(現:岩手県立花巻農業高校)の教員をしていたときに、頻繁に通っていたお店だそうです

​宮沢さんはやぶ屋さんのことを

「BUSU(英語で「藪」のこと)」

と呼び、仕事帰りに仲間に​

​「おい(・ω・)ノ♪ちょっとBUSHで一杯やらないか?✨」​

と声をかけては、お店に繰り出したそうです。

そして、宮沢さんが「一杯やる」というのはお酒ではなく

天ぷらそばと…そしてサイダー

のことだったそうです

当時サイダーはとても高価だったそうですが

宮沢さんはこのサイダーを嬉々として喉に流し込み、そして天ぷらそばをお変わりして食べたとのこと

よっぽど好きだったんでしょうね✨

今回紹介させていただきますのは、そのやぶ屋さんの支店

岩手県盛岡市盛岡駅前フェザン地下1階
のレストラン街の一角にあります

やぶ屋 フェザン店 さんです

ここは岩手県の玄関とも言われる盛岡駅にも非常に近く

そして僕自身盛岡に住んでおりますので、しばしばこのお店を訪れています

写真は宮沢賢治セット

宮沢さんが愛した天ぷらそばとサイダーがそのままセットメニューになっています

やぶ屋さんのお蕎麦は、岩手県産の蕎麦粉のみ使用した喉越しの良い二八蕎麦で、そして非常に丁寧に撮られたお出汁の香りも良く

そして湯気のたつ熱いおそばの上には、大きな海老の天ぷらが気前よくのっています✨

サイダー(三ツ矢サイダー)もよく冷えていて

熱々のお蕎麦を啜る合間に、キィんと冷えたサイダーを喉に流し込むのは快感です

僕自身、遠方から大切な人が来た時に

​「何か岩手ならではのものを食べさせてくれ」​

と言われたら、まずはこの宮沢賢治セットをお勧めしています。

​けっこう喜ばれますね✨(*´꒳`*)✨​

宮沢さんがこの世をさってから100年以上経ちますが、こうして彼の好物をしっかりとメニューに確立させて残し続けるというのは素晴らしいです✨

やぶ屋さんは、その他のメニューももちろん非常に素晴らしく

天ザルなどは本当におすすめです

皆さんも岩手にお越しの際には、やぶ屋さんに

花巻総本店さんに、盛岡フェザン店さんに、ぜひどうぞ✨

【お店】
わんこそば やぶ屋 花巻総本店
岩手県花巻市吹張町7−17

盛岡フェザン店
岩手県盛岡市 盛岡駅ビルフェザンB1F

🌸押忍✊( ˙-˙ )

 

 

 

 

 

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岩手怪異語り:「天狗」神を憎悪した元修験者

どうも僕です

👺( ˙-˙ )⛰️

今回は遠野物語にも度々登場する天狗についてお話ししたいと思います👺

遠野物語では

河童が「水の怪」座敷童が「平地の怪」

そして天狗は「山の怪」の代表格です

一本足の下駄を履き、長い杖を持ち、修験者の衣装を身に纏った凶暴な人型妖怪

それが天狗のイメージですね

岩手県遠野市大工町にある 善明寺(浄土宗)というお寺には

「天狗の牙」が残され、保管されているそうです

さて、その牙の持ち主であった遠野の天狗は、いったいどのような怪異なのでしょうか

〈元は人間〉

この天狗、元は遠野の修験者(山伏)だったそうなんです

とても修行を積んだ、非常に法力の高い修験者だったそうで

「障慢持法坊」という修験名を名乗っていました

「彼」には奥さんと子供がおり、修行を積みながらもとても幸せに暮らしていたそうです

しかし…洪水が起こりました

遠野は元々、アイヌ語で「トー(湖)」という言葉が地名の由来と言われていることもあり

太古より非常に水害に悩まされてきた地でもありました

遠野の地を、そして彼と彼の家族を襲った洪水

彼は明神様の御加護により助かったのですが…

彼の奥さんと子供は流され、亡くなってしまいました

彼だけが取り残されたのです

「なぜ、俺だけ助かった」

「なぜ、妻や子供を助けてくれなかった…」

彼の怒りはいつしか、信仰していた明神に向けられ

そして彼の怒りは限界を突破しました

彼は神を呪い、信仰を棄て

そして今までの修行で培った法力を暴走させ

各地を飛び回り、暴れ、悪業の限りを尽くしたと言います

〈天狗となったその後は〉

その彼の牙がなぜ、冒頭に述べました善明寺にあるかと言いますと…

ひとしきり暴れた彼は、遠野の地を訪れた

金光上人

という人に出会い、そして説得され、改心して仏門に入ったそうです

金光上人というのは

浄土宗の開祖 法然 のお弟子さんで

北日本の地に浄土宗を普及させるべく、師である法然の命を受け、東北地方に浄土宗の普及に努めた人物です

その金光上人と、彼は遠野の地で邂逅したわけですね

改心して仏門に入ろうと思うに至るまで、いろいろあったのでしょうが

結果として彼は金光上人の弟子として仏教への道に入ることになりました

そこに至るまでの過程で何がどうなってそうなったのかは知りません

結果は結果です🌾( ˙-˙ )👍

それで

彼は改心して、もう暴れないという誓いの印として

自らの牙…ていうか歯を差し出した と

それが今現在も善明寺に遺されているわけですね

遠野物語の特徴として

ほとんどの怪異(一部のぞく)が、元は人間、あるいははっきりとした「生物」として語られていることがあります

それほど、かつての遠野では人間の世界と怪異の世界が近く、親密なものであったと言えましょう

今回の天狗も、前回紹介いたしました「サムトの婆さま」

mogumogu88.hatenablog.com

と同じく、とても悲しく不本意な経緯で怪異となってしまった存在ですが

今現在はきっと、仏様のもとで天国で平和に修行に励んでいることでしょう

そう思えば、「彼」のことを考える際に個人的に少しは安心します

最後まで読んでいただきありがとうございました

今回はこの辺で

押忍👺( ˙-˙ )🌾

〈🌾⇩関連資料&その他資料⇩🌾〉

 

 

 

 

 

 

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岩手名物語り:映画紹介「宮澤賢治 その愛」(1996年 松竹)

どうも僕です🎞( ˙-˙ )🍙

今回は岩手の産んだ詩人

宮澤賢治(1896〜1933)

を題材とした映画

宮澤賢治 その愛」1996年 松竹

を紹介したいと思います

1996年、宮澤賢治生誕100年を記念して制作された映画です

主演、つまり宮沢賢治役は三上博史さん

「触れれば切れる」ような鋭い目線で、それでいて繊細な演技が特徴の三上さん

自分の生きる方向性に悩み、家族との諍いに苦しみ、妹さんの病気を案じ、死に悲しみ

そして、自らの恋心と性欲、理想と現実のギャップに本気で悶え苦しむ

「求道者 宮沢賢治

を、映画の視聴者に向け、叩きつけるように全力で演じています

様々な方向にブレながら迷路を歩くように生きる賢治さんに

半ば激怒し、半ば困惑しながらも必死で賢治さんをサポートしようとする父

宮澤政次郎 役には 仲代達也 さん

体を壊しながらも懸命に理想のために生きようとする賢治さんを、真心込めて温かく応援しようとする母

イチ 役に、八千草薫 さん

そして、宮澤賢治の盟友 藤原嘉藤治 役には 尾美としのり さん

壮々たる俳優陣もこの映画の脇を固めています

この映画の最大の特徴は、賢治さんが農学校の教員時代に、自ら脚本をかいたお芝居

「バナナン大将(別代:飢餓陣営)」

が見れることです

飢えに苦しむ陣営で、バナナン大将の帰りを待つ兵士たちが

「死ぬ前にせめてバナナか何かを食べないな🎶」

と歌っているところから始まるこの演劇は、賢治さん本人がバナナン大将に扮して地元の人々に公演を行ったそうです

オルガンをBGMに牧歌的な味わいの中展開されるお芝居を、宮澤賢治役の三上博史さんが生き生きと再現しています

非常に貴重なお芝居なので、これだけでもこの映画は非常に文学作品としても価値があると言えます

そして、宮澤賢治の恋愛事情を語る上で欠かせない女性

高瀬露  さんから向けられる恋心に対し

どうしようもなく不器用に対応し、どうしようもなく葛藤する賢治さんの姿も、非常に生々しいです

若くしてこの世を去られた宮澤賢治さんですが、彼の残した作品は、今もなお魅力を放ち続け

多くの創作者に対してインスピレーションを与え続けています

最後まで読んでいただきありがとうございました

今回はこの辺で

押忍🌾( ˙-˙ )🖋

【⬇️関連資料等🌾】

 

 

 

 

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