岩手名物語り:「銀河鉄道の夜 〜ブルカニロ博士編〜 」

どうも僕です🖋( ˙-˙ )♨️

さっそくですが本題に入ります📗🌌

岩手県の詩人であり童話作家

宮沢賢治さん の最高傑作と呼ばれるものは2つあります

1つがグスコーブドリの伝記

そしてもう一つが銀河鉄道の夜です

これはアニメ化もされて劇場公開されていますし

漫画家、松本零士さんの名作

銀河鉄道999」

のモデルにもなった超有名なお話しです

さて、その銀河鉄道の夜ですが、現在巷で認知されているものは「本物ではない」んですね

ここからはちょっとネタバレになるのですが

物語の終盤、親友のカムパネルラが消失し、悲しみにくれる主人公ジョバンニが大声で泣くその瞬間に、ジョバンニは河原で目を覚ます…

これが銀河鉄道の終盤の流れになるのですが、本物の原作、初期段階の本作では違います

汽車の中で泣くジョバンニの前に、ブルカニロ博士 なる人物が現れ

「なにを泣いているのか」

と優しく問いかけ、そして彼に万物の真理と生きる指針を与え、ジョバンニは希望を持って河原で目を覚ます

これが本来の銀河鉄道の夜の終盤の流れになります

編集の都合なのか、詳しいことは分かりませんが、このブルカニロ博士が登場する場面をごっそりと削除されたものが、いわゆる「最終形」として出回っています

このブリカニロ博士編なのですが

漫画家の ますむらひろし さんが最終形およびブルカニロ博士編を完全にコミカライズして世に送り出しています↓

銀河鉄道の夜―最終形・初期形「ブルカニロ博士篇」 (宮沢賢治童話集 ますむら版)

自分個人としてはオチのない、悲しみの余韻のまま終わる最終形よりも、ジョバンニを励ますブルカニロ博士編の方が好きだったりします

最後まで読んでくださりありがとうございました

今回はこの辺で

押忍🌌( ˙-˙ )☕️

〈関連作品↓〉

 

 

 

 

 

 

 

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岩手名物語り(人物編):「宮沢賢治の食生活」変則的&哲学的菜食主義者(ベジタリアン)

「料理とは結局、水に味をつけたものです」

   宮沢賢治

どうも僕です🍅( ˙-˙ )🖋

『宮沢賢治全集・283作品⇒1冊』【直筆水彩画・関連作品つき】

宮沢賢治(1896〜1933)さん

岩手県花巻市出身の詩人であり、童話作家であり農学研究者、教育者です

詩集春と修羅をはじめ

童話「月夜の電信柱」「オツベルと象」「セロ弾きのゴーシュ

そして

グスコーブドリの伝記」「銀河鉄道の夜

など数々の有名な作品を後世に残されました

さて、生前の宮沢さんは、変則的な菜食主義者として知られており

肉や魚を嫌い、野菜の煮付けなどをおかずにご飯を食べることを好んでいる一方で

アイスクリームといった乳製品は大好物だという、どうも風変わりな食の嗜好だったようです

よく言えばユニークですね

さて、今回は宮沢さんの食生活についてです

宮沢さんは、高等学校を卒業した後、東京でさまざまな職を経験してから地元の花巻に戻り、そして数年ほど農学校の教員として働きました

そして、「思うところあり」教員を辞して

「下ノ畑ニオリマス」

というスローガンのもと

農学教育塾 羅須知人協会

を開いたのですが、そこでも宮沢さん独自のユニークな菜食の食生活を展開されていたようです🍆

宮沢さん本人は、食べること自体はとても大好きだったようで

「一日ニ玄米四合ト、味噌ト少シノ野菜ヲ食ベ」

という言葉にもあるように

1日に四合も飯食ってたみたいで

いやかなりの大食いですねこの人🍚(^◇^;)💦

有名な宮沢さんの羅須知人協会での食エピソードは

夏、ザルの中に炊いたご飯を入れて、それを井戸の中に吊るして冷やして

そして冷たいご飯で自分の畑で栽培したトマトやレタスにソースかけておかずにして食べてたみたいです

宮沢さんは、この時系列で、訪れた友人に、今回の記事の冒頭の言葉を言っています

「料理とは結局、水に味をつけたものです」

この言葉の真意はわかりませんが…

宮沢さんは、独特の感性を持っていました

例えば、朝飲むお茶に、朝日を受けた松の葉っぱをあしらって見る・・などがその代表です

37歳という若さでこの世を去りましたが

宮沢さんは生前、多方面にその才能を発揮し、ここにも1人(自分のことですが)ファンがおります

宮沢賢治の描く物語の世界はとてもユニークです

そして、宮沢賢治本人が展開した食生活もまた、とてもユニークなものでしたね

最後まで読んでいただき、ありがとうございました

今回はこの辺で

押忍🍚( ˙-˙ )🌌

 

 

 

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岩手の郷土文化語り 〜そばと重箱ともてなしと〜

皆さんはお蕎麦はお好きでしょうか?
岩手県は蕎麦の産地です。

奥羽山脈から流れ来るやませ(偏東風)と、そしてそれからなる冷涼な気候により、蕎麦の生産に適した土地とされてきたこの岩手県

​前回ご紹介しました「わんこそば」をはじめ、独特の蕎麦文化が古来より培われてきました

その一端をお話しさせていただきたいと思います

​​【重箱とお蕎麦】​​

古くから岩手県の…特に北部の地方では、お蕎麦で来客をもてなす「そば振舞」という文化があります

​それに加えて、来客にお蕎麦を振る舞った後

留守番をしていらっしゃるであろうそのお客さんの家族の方や、更なるおすそ分けなどを気遣い

重箱にお蕎麦やそれに付随する小料理(お漬物や和物、煮物など)を盛り込み、お客様に持たせるという文化があったそうです

例えば、茹でたお蕎麦を重箱に盛り付ける他に

(例)早春には新鮮なニラ晩春には菊の花びら

これらを蕎麦湯で煮たものをお蕎麦の上にまぶして

季節感をしっかりと出したものをお土産として差し上げる。

これも一つのお作法だったようです。

そしてまた、重箱に収まるお蕎麦は手打ちのものに限られるので

そのおうちの人が、上手におそばを打てなかった時
つまり「ぶっといおそば」を盛り付けるときには、自身の不器用ぶりとお詫びする意味も込めて

「鉈(なた)で切ったそばでござんすども」​

と言い添えるならわしもあったとのこと♨️

また​、重箱の中には、当日のつけダレや薬味も添えられており、家に帰ってすぐにでも食べれるような配慮もされていたそうです​

​重箱そばの文化は、知れば知るほど、田舎の素朴で、なおかつ丁寧な心遣いが、文化として伝わってきたことを知ることができます

 

 

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岩手名物語り:遠野物語と食文化

どうも僕です🖋( ˙-˙ )☕️

それでは本題に入ります

山と川の恵みをフルコンタクトに…もとい、フルに受けた豊かな地

それが岩手県の遠野です

昔から米が豊富にとれ、江戸時代に南部藩が統治していた頃は、盛岡に次ぐ酒造がもあり

酒粕を利用した 酒まんじゅう に代表される独特な食文化を発展させてきました

秋には、山なし、山ぶどう、きのこ類などたくさんの山の幸が彩を増し

また、遠野人の祖先は「太古に鮭と共にこの地へ来た」と言われるほど、川の幸も豊富に潤います

前述した山の幸を使った 大根の山ぶどう漬け、米から得られる酒粕、酢粕を使った粕漬けなど、非常に多様なお漬物文化があるのも遠野の特徴です

🥢(´・∀・`)🍚

遠野民話漬 厳選詰め合わせ 岩手県遠野市で丹念に漬物を作っています 遠野味噌醤油 岩手県

遠野物語でも語られている中で、有名な現地の民族行事として

「お作立」

というものがあります

これは冬野行事であり、田畑やその他の生産物がその年も豊作であるように祈り、そして予めお祝いをする行事です🌾

その際、養蚕では養蚕の神であるオシラサマ」にお餅と精進料理をお供えして、養蚕業の繁盛を祈ります

ロイヤルガストロ 遠野麦酒 ZUMONAビール 330ml 6本セット 上閉伊酒造 

そして最近では、遠野の大きな名物である遠野ジンギスカンや、遠野のホップを100%しようしたクラフトビール

ZUMONA(ずもな)ビール

など、食文化はさらに発展、進化を続けています

全国のみなさん、遠野物語の地を訪ねに来た時は、遠野の美味しいグルメも存分にお楽しみください✨

最後まで読んでいただきありがとうございました

今回はこの辺で

押忍🏔( ˙-˙ )🐑

 

 

 

 

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岩手怪異語り:「オシラサマ」遠野物語の深淵

どうも僕です🖋( ˙-˙ )🍵

オシラサマ という神(?)について今回はお話ししたいと思います

オシラサマとは蚕の神…養蚕神と位置付けられている神様なのですが

拡大解釈すると、農業全体の神である農業神としても捉えることができる神様です

遠野では現在もこのオシラサマは祭られており、布で顔を隠したものと、隠さないものの二つのタイプの御神体があります、大きさは主に30センチ前後と言われています

実はこのオシラサマ、馬と人間の娘の異種間恋愛がその由来にあると言われています

(ガチです)

とある農家に娘あり その娘美しくありて 父親が飼いならせし農馬を愛せり

農馬もひどく娘をあいせり 娘の父親コレを怒りて 農馬の首をハネて殺せり

娘泣き叫ぶままに農馬の首に抱きつき たちまち農馬の首と娘空中に浮き

天に向かって登っていき 消え去るなり

娘の父母ともにひどく悲しむも まもなく娘の生まれ変わりの如き小さき白い虫を授かるものなり

それ すなわち蚕の神なり

それ以降、遠野の地では養蚕が始まったとのことです

オシラサマは、現地では家によって「オコナイサマ」「オクナイサマ」などと言い方はまちまちですが、全国的には「オシラサマ」で通るようですね

祭られてはいるものの…上記の言い伝えの内容も矛盾だらけで

🔹なんで人間と馬が愛し合うの成立したのか

🔹なんで馬の首と娘が天に登っていったのか

🔹なんでそのあと父母が授かったのが子宝ではなく、蚕なのか

非常に意味不明です

意味不明ですが、1762年に表されたと言われる

「遠野古事記

にはすでにそのオシラサマの内容が記録されており、歴史自体はかなり古い神であることが分かります

実に捉えどころのない…遠野物語の中でもある意味最も深淵な内容を持つ・・または

ヤバい神

なのかもしれません

最後まで読んでいただきありがとうございました

今回はこの辺で

押忍🖋( ˙-˙ )✊

 

 

 

 

 

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岩手UFO語り:霊峰早池峰と「天灯籠」

どうも僕です♨️( ˙-˙ )✊

唐突ですが  UFOです🔥

早池峰山

岩手県の大迫と遠野という2つのエリアにまたがって聳え立つ岩手県「霊峰」と呼ばれる大きな山です

その麓には縄文時代の遺跡もポツポツと存在し、そして

「これは宇宙服を着た宇宙人の姿を表現したものではないのか?」

ととある宇宙考古学者が提唱する遮光器土偶もたくさん発見されています

そんな早池峰山ですが、近代になっても、とても不思議な現象があると伝えられています

それが

「天灯籠」

です

一年に一回しか発生しないと言われているそれは

真夜中に早池峰山の山頂を囲むように、細長くて眩しい光が空に浮かび、ゆっくりと回転しながら天空に登っていく…というもので

その光は四角い灯籠のようにも見えるので「天灯籠」と地元の人々に名付けられたそうです

昭和祖期には、この天灯籠を一眼見ようとたくさんの人々が早池峰山に登ったそうですが

不思議なことに、やはり8月のお盆前後の決まった晩にしか、天灯籠は現れなかったということです

これは今でいうUFO(未確認飛行物体)事案ですね

さて、このUFO、つまり異星人に関連するものについてですが

遠野物語には「天狗」「山人」「経立」など「常人ならざるもの」のエピソードが存在します

そして、前回お話しいたしました「まよひが」に代表される

「何者かの隠れ家」

のような記録もあります

これらは十分に異星人を想像させるものであり、遠野物語には霊魂や呪いといったものの他にこの宇宙的な、異星人がモデルとなったエピソードがあっても全く不思議ではありません

岩手のミステリーは無限に興味をそそられます

※ちなみに、岩手県九戸郡という地方には「オドデ様」という神様が伝えられており

 このオドデ様はモロに、宇宙服を着た異星人のようなフォルムをしています

最後まで読んでいただきありがとうございました

今回はこの辺で

押忍🖋( ˙-˙ )🛸

 

 

 

 

 

 

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岩手怪異語り:「河童=ザシキワラシの構図」(遠野)

どうも僕です🖋( ˙-˙ )✊

このブログでは度々遠野物語について書いてきましたが

今回もまた、書こうと思います

河童がザシキワラシになった事例です

〈概要〉

岩手の上閉伊郡の栗林というところに、小笠原某という大きな家があったそうです

ある日、この家に奉公している下男が夕方、家の農馬に餌をやろうとして馬屋に行くと、そこに1匹の河童が隠れているのが見つかりました

たちまち大騒ぎとなり、村の男たちが総出で河童を取り囲み、逃げれないようにしました

村人の1人が河童に問いました

村人「なしてこったらまねすのや?(どうしてこのようなことをしたのか?)」

河童は答えました

河童「おら、なってもウマっこ好きで、オメェさまがたやってらように手綱っこ引いて見たかったのす、すたどもやってみたっけ馬っこの方がチカラ塩梅強くて逃げれねでらのす(私はとても馬が好きで、人間のあなた達がやっているように、手綱を引いて馬を引っ張ってみたかったのです、しかし、いざやってみると馬の方がたいそう私よりも力が強く、逃げるに逃げれないでいたのです)」

そして河童は涙ながらに村人に命だけは助けてくれと全力で懇願しました

そこに、その家の主人が鶴の一声…

主人「わがた、許すどもな、もぉはぁこったらまねすなよ。書けこれ(紙を取り出して)書けば許すがら(よし、ゆるそう。しかし2度とこんなことをしてはいけない、証文を書けばしっかり許してやる)」

河童は家の主人の言葉にうなづいて、左腕を噛み切って(!)そしてその指先で証文を書いて主人に渡したそうです

そして河童は許され、命を助けてもらった恩返しとして川から上がり

その家にそのままザシキワラシとして住み着き、主に水回りの面でたいへんその家に奉公したそうです

どうでしょう

非常にユニークなケースですね♨️(´・∀・`)

遠野物語と河童は切っても切り離せない関係ですが、ザシキワラシも同様ですね

その2つがドッキングしてしまった稀有な事案がコレになります

「・・わけわかんねぇ」

と思う方もいると思います

それはそう、河童もザシキワラシも、本来であれば別物なはずなのに…この事案では別物ではないんです

調べれば調べるほど謎が深くなり、そして捉え所がなくなっていく

それが・・遠野の異界なのかもしれません・・

最後まで読んでくださりありがとうございました

今回はこの辺で

押忍♨️( ˙-˙ )🍵

 

 

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