どうも僕です🖋( ˙-˙ )♨️岩もぐらです
極真空手に係る食エピソードということで
今回は、今までさまざまな文献を読んでまいりましたが、それを元に、大山総裁の、そして極真会館の前身である「大山道場」でのご飯のお話を皆様に紹介したいと思います
「大山総裁ときっても切り離せないものに焼肉がある」
これは元極真会館の総本部師範代を務めた作家、真樹日佐夫先生(故)の言葉です
そして、さらに、焼肉は大山道場ともきっても切り離せない関係にあると言っても過言ではなさそうです🥩(´・∀・`)
極真ファンの皆様、そして格闘技、空手ファンの皆様にはご存知の方もたくさんいらっしゃると思いますが
池袋西口のバレエスタジオだった建物を借りて稽古が行われていたのが大山道場
そこでは、従来の空手とは一線を画す猛稽古が行われていたそうです
組手は基本的にフルコンタクト、そして顔面や金的、投げ技なども初期設定でオールOK
基本動作は100本…200本…延々を繰り返され、2時間以上にも及ぶ日もあったとのこと
エグいです💣(;´д`)💦
そして、そこで今現在のフルコンタクト空手界を牽引する師範たちが、当時は青少年として滝のような汗を流しながら必死に稽古に打ち込んでいたとのことです
さて、道場主の大山総裁(当時は大山先生と呼ばれていたとのこと)
稽古の後、お腹を空かせた青少年たちを連れて、近所の焼肉屋に出向いたとのこと
そこでお弟子さんたちにお腹いっぱい焼肉をご馳走して、とあるお弟子さんの目撃談によると
支払いも何もせず
「押忍!ごちそうさまでした!(`・∀・´)♨️」
の一言でお店を出ることもあったとのこと(!)
また、稽古の後、大山総裁のご自宅で焼肉パーティをすることもしばしばあったそうで
奥様の知弥子さん曰く
「若い人ばかりだから、すぐにお肉がなくなっちゃって」
とのこと(・ω・`)
そして大山総裁が
「もっとおかずはないのかな🍖( ´ ▽ ` )?☀️」
という言葉に、お弟子さんたちからたびたび歓声が上がり
大山総裁と奥様はそれとなくアイコンタクトを取り
大山総裁の一丁らの背広や、よそ行きの革靴などを質屋に持っていき、それでお肉を買い足すことも度々あったとのこと
漢気ありすぎですよね総裁🔥✨
大山道場〜極真会館初期の師範代で、俳優の石橋雅史先生(故)もかつてインタビューで
「お金に苦しかったろうけど、自分たちは腹一杯肉を食べさせてもらった」
と答えていました
だからこそ、桁外れの猛稽古にもかかわらず、お弟子さんがついてきたのでしょうね
極真空手に係る食のエピソードには、ただ食べて「うまかった」「まずかった」ではなく、必ず深い深い人間としての物語があるように思います
今後も、ちょこちょこと自分が知っている範囲で、こういうお話を発信していきたいと思います
押忍🥋( ˙-˙ )✊