こんにちは 僕です♨️( ˙-˙ )🖋
今回は今後の空手の世界を担うであろう小さな子供たちにわかるように
ざっくりと書いてみようと思います
空手という複雑でデリケートなものをですね
子供たちにどのようにわかりやすく、ざっくりと説明できるか…
それがこれからの空手を世界を発展させていくための鍵の一つだと考えているからです。
【では🖋(`・∀・´)✨】
明治時代あたりに、沖縄の「唐手」という武術が日本の本土に入ってきたんですね
東京や京都などで、それぞれ達人が道場を初めて、そこからどんどん人口が増えていったんですね
そして、戦争(太平洋戦争)が起こったときに、日本はまず、アメリカより先に中国と戦争したんですね
だから、「唐」というのは中国を意味するから、他の文字を当て流ように、当時の政府から命令されて
「空手」
になったわけです
【どうやって大きくなったの?】
戦争が終わった後に、柔道や剣道はGHQっていう連合国の組織によって「封建的だからしばらくダメだ」って言われたんです
でも、空手はそのときまだ全然知名度がなかったから
「これはジャパニーズボクシングみたいなものだから」と言ったらGHQが「ああ、それならいいよ」と言ったんですね
そして、それを機に、いろんな大学に空手部ができて、大学の空手部を大きなベースとして全国に空手の人口が広まったんですね
【どうして、当てるフルコン空手と当てない伝統空手に分かれたの?】
空手の活動をみんな、頑張ってやっていたわけです
でも、どうしても、自分や自分の生徒の発表の場である大会(試合)が必要になってくるわけですよね
そのときに、みんなでかなり悩んだわけです「…どうしようか…」って具合に
🔹空手の突きや蹴りを相手に当てないで、寸前で止めて、それでポイントを競い合えばいいよね
という考えと
🔹当てない体の部位を決めた上で、実際に当てあって倒そう!
という考えに別れたわけです
空手は、柔道や剣道に比べて、競技のルールがまだ確立されてなかったから、2つともすごく画期的な考えだったわけですね
そして
当てない空手を採用して、国体やインターハイなど「スポーツ競技路線」を目指す
公益財団法人全日本空手道連盟(伝統空手)
と
実際に当てて倒す、格闘技としての強い空手を目指す、当時剛柔流という伝統空手の団体の大幹部だった
大山倍達 という人が興した
国際空手道連盟 極真会館(直接打撃制空手)
に大きく空手の世界が別れたんです
それが当てる空手、当てない空手に別れた始まりです
確実にみなさんに認識して欲しいのは
どちらが正しいか、間違っているか の話ではないです
どちらも、空手というものにスポットライトを当てようとして、そして今現在どちらも素晴らしく発展しています
全体的にざっくりと、大雑把にいうとこんな感じ・・ということですね
空手を始める上で、または子供たちに言い聞かせる上で
どちらの空手も素晴らしいですが、自分の興味や趣旨にあった方の空手を選んで、ストレスな
く空手ライフをエンジョイできるといいですね✊
今回はこの辺で
🥋押忍( ˙-˙ )✊