空手家紹介:中村忠 〜フルコンタクト空手の「礎」を築いた大重鎮〜

【重鎮にして最古参】

中村忠 先生(1942〜・樺太出身)

世界誠道空手道連盟 誠道塾 会長

フルコンタクト空手の元祖、国際空手道連盟極真会館の創設者である大山倍達を支え

極真会館の初代主席師範でもあった方です

高校1年生の時に極真会館の前身であった池袋の空手道大山道場に入門し、生来の克己心を武器に猛稽古に励み、瞬く間に黒帯を取得

その基本は正確で、組手は比類なき強さを誇り

なおかつ、倒れ込む相手を床に頭がぶつからないように支えてあげるという温かな人間性で、先輩後輩問わず慕われていたとのことです。

黒帯を取得し、指導員となったあとは、座間にある米軍キャンプでアメリカ軍にも空手を指導するなど、精力的に活動しています。

【元祖アイディアマン】

中村先生はまた

当時の極真会館の昇級審査のシステムに、今現在も施行されている

帯の「色」、つまり色帯(オレンジ、青、黄色、緑、茶色)による明白な昇級ランクの区分けを考案するなど

近代的な空手の練習する側のモチベーションアップの方法や、指導の展開のパイオニアでもあります。

異種格闘技戦のハシリ】

中村先生は1964年に、黒崎健時先生、藤平昭雄先生(2人とも当時の極真の中心的人物)と共に3人でタイ王国にわたり

完全アウェー💀「日本人を墓場へ!💀」

のスローガンがデカデカと掲げられる中で、タイ王国の国技であるムエタイと対戦して

KO勝ちをおさめています

その実力は、表現は悪いですが

もはやブッ飛んでいます

【人間空手】

中村先生はその後渡米し

ニューヨークのブルックリンでの道場指導を皮切りに、世界各国に空手の指導に赴き

1971年には極真会館の初代北米委員長に就任

記念すべき極真会館

第1回全世界空手道選手権大会

では主審という大役も務められました

中村先生はその後極真を離れ

世界誠道空手道連盟 誠道塾

を設立され、独自の空手の追求、普及、指導に尽力されます

中村先生の提唱する空手は、フルコンタクト空手ではありますが

試合の勝ち負けよりも、その空手の稽古を通じて徹底して「自分を律する」「自身のエゴと真剣に向き合う」ことを主眼に置くものです

それにより、豊かな人間性の獲得を目指す

「人間空手」

というものを提唱されておられます

空手をすることで

 思いやりの心

 感情のコントロール

 感謝の心

を再認識し、空手にであった全ての人が笑顔になれるような空手道を至高のものとされています

実戦空手の普及、人間性の追求

中村先生の功績と、その空手道としての理念は、全ての流派会派、団体を超越して

珠玉の宝

と言えるものです

押忍

 

 

 

 

 

 

 

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